大口の 眞神の原に ふる雪は いたくな降りそ 家もあらなくに
これは「万葉集」第八巻に納められた、飛鳥時代の女官、舎人娘子(とねりのおとめ、生没年不詳)の雪の歌で、「眞神が原に降る雪よ、そんなにはげしく降らないでちょうだい。この先雪が止むまで待てるような家もないのですから」という、少し切ない雰囲気を持つ歌です。
「眞神が原」は地名で、現在の奈良県明日香村、飛鳥寺がある周辺のことだと推定されています。そして「大口の」は「眞神」にかかる枕詞で、「眞神」とはオオカミ、すなわちニホンオオカミのことで、ニホンオオカミを神格化した呼称とされています。
「大口眞神」と記載された武蔵御嶽神社のオオカミの護符
ちなみに、日本で最後にニホンオオカミが確認されたのも奈良県です。
奈良県吉野郡小川村鷲家口(現:東吉野村鷲家口)で捕獲された最後のニホンオオカミは、現在ロンドン自然史博物館に、頭骨と毛皮が保存されています。(ただ、これはあくまで正式記録として確認された最後であり、この後もニホンオオカミは生存していたはずです。)
神様となったニホンオオカミ
オオカミは日本人にとってとても身近な生物でした。
縄文時代、弥生時代の遺跡からもオオカミの骨が出土しており、日本に伝存する最古の正史である「日本書紀」にも「貴(かしこ)き神」としてオオカミが登場します。
「日本書紀-欽明天皇即位前記」には、秦大津父(はたのおおつち)が伊勢に行った帰り、山で二匹のオオカミが血まみれになって争っているのを見かけます。秦大津父はこのオオカミを「貴き神」と直観し、そのオオカミに「汝は是貴き神にして麁(あら)き行(わざ)を樂む――あなた方は貴き神で、荒業を好まれるが、もし血にまみれたのあなた方を猟師がみつければ、たちまち捕えてしまうだろう」と告げると、二匹はたちまち争うことを止め、血を洗い流し、お互いに離れ、共にその命を全うしたという物語が記載されています。
また、同じく「日本書紀」に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト、古事記での表記は「倭建命」)が父景行天皇の命により東国遠征で奥多摩の御岳山にさしかかったとき、山鬼が大きな白鹿の姿となって現れ、深い妖霧を放ち一行を惑わします。そのとき白い犬(オオカミ)が現れ、日本武尊を助け、導いたと記されています。
現在もオオカミを眷属神として祀る武蔵御嶽神社(東京都青梅市御岳山176)には、軍を導いた白いオオカミは、日本武尊から「大口眞神としてこの地にとどまり、災いを防ぎこの地を守護しなさい」と告げられ、それに従い、やがて人々に広く信仰されるようになったと伝えられています。
武蔵御嶽神社社殿前の狛犬(2)
日本武尊とオオカミとの関係はとても深いものがあり、今でも秩父周辺では、日本武尊とオオカミを祀る神社はとても多いです。
埼玉県秩父市にある三峰神社(埼玉県秩父市三峰298-1)は、景行天皇が日本武尊を東国に遣わされたとき(東国遠征)、日本武尊は碓氷峠に向われる途中、現在三峰神社がある山に登り、その美しく清い様に心打たれ、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと)を偲びこの二神をお祀りしたのが創まりとされています。そして、自分を導いた勇猛で忠実なオオカミを眷属神と定めたと伝えられています。
三峰神社のオオカミの狛犬(1)
三峰神社のオオカミの狛犬(2)
ニホンオオカミを眷属神として伝えるのは、神社だけではありません。
鳥取県の三朝温泉は、高濃度のラドンを含む世界屈指の放射能泉(ラジウム温泉)として有名ですが、1164年、平安時代末期に発見されたと伝えられており、ここにも白いオオカミの伝説が語られています。
三朝温泉の言い伝えによると、源義朝の家臣、大久保左馬之祐(おおくぼさまのすけ)が、源氏再興祈願のため三徳山三仏寺(日本一危険な国宝がある場所として有名です)にお参りしたとき、大きな古い楠の根本に、老いた白いオオカミがいるのを見つけ、一度は弓で射ようとしたものの「殺生はならん」と思い留まり、見逃します。するとその夜、左馬之祐の夢に妙見大菩薩が現れ、使いの白狼を助けたお礼として、白狼がいた楠の根本から湯が湧き出していること教えたのだそうです。楠の古木の根元から湧くこの源泉は、救いのお湯として、当時から現在に至るまで多くの人たちの傷や病を治したと伝えられています。
三朝温泉株湯にある「大久保左馬之祐と白狼」の像
このように、日本人と日本のオオカミは、大変良い関係を築いていました。
それが壊れたのが、明治時代です。
滅ぼされる日本の神
ニホンオオカミの悲劇は、1732年に流行した狂犬病・ジステンバーなどの病気に始まります。本来オオカミは臆病で慎重な生物で、ヒトを襲うことはめったにないのですが、狂犬病などに感染した場合は別です。そして明治時代に入り、狂犬病撲滅のため徹底的なオオカミ駆除が行われたことに加え、急速な開発により住む場所を失ったニホンオオカミは、1905(明治38)年に絶滅してしまったとされています。
北海道に生息していたエゾオオカミの場合、さらに悲惨です。
エゾオオカミは、ヒトが北海道を開拓する中で、本州のニホンオオカミ以上に徹底した撲滅作戦が展開され、その捕獲に賞金がかけられ、ストリキニーネによる毒殺まで行われ、ニホンオオカミより16年も早い1889年に絶滅してしまいましす。
生態系の頂点に立つオオカミの絶滅――これが自然、そして生態系に与える影響は、とても重大で深刻なものです。
このブログタイトルのとおり、オオカミは日本の頂点捕食者として、日本列島ができてからずっとこの国を守ってきました。
頂点捕食者であるオオカミが自然界でどれほど大きな役割を果たしているのか――ここに、アメリカのイエローストーン国立公園での事例があります。
イエローストーン国立公園では、自然破壊と人為的な駆除のため、1970年代にはオオカミが姿を消してしまいました。その結果大型のシカが大繁殖し、多くの植物を食べてしまうことで土壌は浸食され、川は形を変え、そして多くの動物たちが姿を消しました。
政府はこれを深刻に捉え、1995年の真冬、米国立公園局と魚類野生動物局は14頭のハイイロオオカミ(Canis lupus)をイエローストーン国立公園に運び込み、さらに1年後、17頭のカナダ生まれのオオカミを追加で放しました。
オオカミの再導入です。
その後オオカミは順調にその数を増やし、わずか20年程で本来イエローストーン国立公園にあった自然が戻ったというのです。
まず急増していたシカの数は減り、シカがオオカミを避けて危険な道を通らなくなったため、そこに植物が育ち、小鳥たちが集まるようになりました。そして木が育ったことでビーバーが戻り、ビーバーの作るダムは多くの生物たちの住処となり、ここでも多くの動物が戻ってきます。
また、オオカミはコヨーテを捕食することから、今までコヨーテに捕食されていたウサギやネズミの数が増え、その結果、それらを捕食するキツネやワシ、イタチなども数を増やします。
そして、草木が生えたことで、クマの好物であるベリー類も多く育ち、数を減らしていたクマも個体数が回復しました。
さらに、オオカミには食べ物(捕獲した動物の死骸)を埋める習性はないので、放置された食べ残しが多くの動物たちを育てます。ワシ、カラス、タカ、そしてクマ。特に冬眠明けのクマは、オオカミの食べ残しを食べることで体力を回復させることが多いのだそうです。
オオカミの復活が与えた影響は、このような動物の個体数のコントロールだけではありません。
オオカミのいない間、草食動物に食べつくされていた谷間に植物が育ち、結果土壌の浸食が抑えられ、川岸は安定し、川本来の強さを取り戻したというのです。
このイエローストーン国立公園の事例は、生態系のバランスが壊れることがどれほど自然に大きな影響を与えていたのか、ということがわかります。自然淘汰という言葉がありますが、イエローストーン国立公園にしても日本にしても、オオカミの絶滅は自然淘汰などではなく、明らかに人為的なものです。無理な形で急激に形を変えられた生態系は歪なものとなり、様々な悪影響を及ぼします。
また、日本の場合、明治という時代は「神殺しの時代」でもありました。
明治政府は、古事記や日本書紀、延喜式神名帳に名前のある神以外の神々を排滅し、神道の純化を図ります。いわゆる「神社合祀」施策で、1906(明治39)年の勅令から1910(明治43)年にその動きが収まるまでの間に、全国に約20万社あった神社のうち、約7万社が取り壊されたといわれています。特に三重県は、もともとあった神社のうち約9割が廃されています。
この結果、日本人が生活の中で信仰していた自然の中にいる多くの神様は、このとき排除された――つまり、「国家による大規模な神殺し」が行われたのです。正に暗黒の政策としか言い様がありません。これにより、多くの文化が失われました。
政府は人々が守ってきた鎮守の森を狙ったのだとも言われています。鎮守の森には手つかずの太古の自然が残り、樹齢を重ねた大きな木々も多くありました。政府はこれらを伐採して売ることで得る多大な収入を狙ったのだとも言われています。この神社合祀の悪策は、南方熊楠(みなみかたくまくす)らによる反対運動で、1910(明治43)年頃には落ち着いたと言われていますが、その時点で失われたものはとても大きく、取り戻すこともできないものだでした。南方熊楠は、神社合祀に関する意見の中で、神社合祀は史跡や古伝を滅却する、地方の衰弱を招く、敬神思想を弱める、天然風景と天然記念物を亡滅する等と批判していますが、正にそのとおりになってしまったのです。
そして、その「神殺し」の過程で、「貴き神」であり「大口眞神」でもあったニホンオオカミという神も、今まで守ってきた日本という国、そして明治政府という国家により滅ぼされてしまったのです。
※和歌山大学教育学部より寄託されている和歌山県立自然博物館のニホンオオカミの剥製。本来ニホンオオカミは額から吻にかけてのくぼみがないのだが、この剥製は吻から額にかけてのラインに段があり、剥製をつくる際のミスであると指摘されている。このように、ニホンオオカミはその生態を伝える正確な標本がなく、未だにわからないことが多い。
日本という国が始まってからずっと日本の生態系の頂点に立ち、生態系をコントロールしながら、自然のバランスを守っていたニホンオオカミ――ニホンオオカミの絶滅は、私たち日本人に何を語りかけているのでしょう。
いや、もしかしたら、ニホンオオカミはヒトに見つからないように今もひっそりと山の中で暮らしており、じっとこの国を見守っているのかもしれません。