ブログタイトルについて

私は幼い頃から動物が大好きで、特に犬が好きでした。
ある日、私は「狼王ロボ(原題:Lobo)」という一冊の本に出会います。
これは、アメリカの博物学者アーネスト・トンプソン・シートン(Ernest Thompson Seton)の作品で、日本でも「シートン動物記」の一つとして多くの子どもたちに親しまれている物語です。

添い寝する狼

幼かった私は、非常に賢い群れのボス「ロボ」と、その妻である白い狼「ブランカ」の優しく、そして悲しい物語に心を打たれ、同時に、ロボの気高く偉大な姿に惹かれ、狼が大好きになりました。

私は犬の中でも大型犬、特にジャーマン・シェパードが好きなのですが、それは人生で初めて一緒に暮らした犬がジャーマン・シェパードだったということが一番大きな理由だと思いますが(祖父がジャーマンシェパードが好きだったので)、その他にも、その外見が狼に似ていることもその理由の一つだと思います。
(しかし、アメリカの大学チームが行った遺伝子研究によると、全ての犬の中で最も狼に近いのは柴犬で、ジャーマン・シェパードは狼からは遠いマスティフ系のグループに属しているのだそうです。)

ジャーマン・シェパード

かつて日本にも狼がいました。
本州、四国、九州に生息していた「ニホンオオカミ」、そして北海道に生息していた「エゾオオカミ」です。

狼のイメージは、酪農を主に行ってきたヨーロッパと、農耕を主に行ってきた日本では大きく異なります。

ヨーロッパでは、狼は「赤ずきん」の物語に代表されるように、人を騙し、襲う悪い存在として扱われることが多いです。これは、酪農型の生活を送る人々にとって、大切な財産である家畜を襲う狼はやっかいな存在だったということが大きな理由であるといわれています。
この他に宗教観も関係しているでしょう。
キリスト教の聖書では信者を羊に例えていますよね。ヨーロッパで狼が悪者になるのは、「羊を襲う狼=人を惑わす悪い存在」というイメージが強いのではないでしょうか。

しかし、日本での狼のイメージは違います。
「狼」という漢字は、「犭(けものへん)」に「良い」という字で構成されています。また、「オオカミ」という名称は「大神」に由来しているという説もあります。
事実、日本には現在も、秩父の三峯神社、奥多摩の武蔵御嶽神社に代表されるように、狼を神使(御眷属様)とする狼信仰があり、さらに縄文時代の遺跡から狼の遺体を使った装身具が発見されていることなどから、日本人は国の始まりと同時に狼を神、あるいは神使として信仰してきたといっても良いと思います。

狼を神格化する理由の一つとして、日本人は農耕民族であり、田畑を荒らす鹿や猪を狼は捕食するありがたい存在だったということがいわれています。(しかし、捕食される鹿も猪も眷属神として有名です。自然崇拝の国、日本では、あらゆる動物が神使なのです。)

武蔵御嶽神社の護符

狼を神格化しているのは日本だけではありません。
狼信仰は世界各地で見られます。

古代ヨーロッパでは、狼は日本と同じように、穀物神・豊穣神とされ、フランスやドイツなどのスラブ諸国では、最後に刈った穀物の束で狼の形をつくる風習がありました。

北欧神話の主神であり、戦争と死、そして詩文の神でもあるオーディン(ドイツ語でWodan(ヴォーダン))は、ゲリとフレキという2匹の狼を連れています。ゲリとフレキとは、ともに「貪欲なもの」という意味で、オーディンは知識に対して非常に貪欲な神でもあります。

また、ローマの建国神話では、狼に育てられた、ロームルス (Romulus) とレムス (Remus) という双子の兄弟により、紀元前753年4月21日にローマ市が建設されたと伝えられています。

イタリアにある世界最古の美術館「カピトリーノ美術館」所蔵
「狼の乳を吸うロムルスとレムスの像」

ギリシャ神話、オリンポス十二神の一柱である太陽神アポロンは、多くの別名を持つ神でもありますが、その一つ「Apollo Lycaeus(アポロン リュケイオス)」は「狼のアポロン」という意味です。
アポロンはゼウスとレートーの子です。嫉妬に怒り狂うヘラからレートーを守るために、ゼウスはレートーの姿を狼に変えます。そして、デーロス島でレートーはオオカミの姿のままアポロンを生んだとされています。
つまり、狼はアポロンの別の姿でもあり、太陽と光の象徴でもあります。

このように、古代の原始的な社会では狼を神格化するケースが多いことに気づきます。そこには「自然への崇拝と畏怖」の念が根底にあるのではないでしょうか。

人はとても弱い生き物です。
力では野生動物にはとてもかなわないし、天候により生活が大きく左右されます。
狼は生態系の頂点に位置する動物の一つで、さらに狼王ロボの物語に見られるように非常に賢く、また統率のとれた組織の中で生活しています。人は狼に自分の姿を重ね、そして時として己に牙をむき命を奪う自然にも狼の姿を重ねたのではないでしょうか。

残念ながら日本の狼は、1905(明治38)年1月、奈良県吉野郡小川村鷲家口(現:東吉野村鷲家口)で若い雄狼が捕獲されたのが確実な最後の生息情報とされており、環境相レッドリストでは、「絶滅 (EX)」のカテゴリに分類されています。

ちなみに、奈良県東吉野村では「ニホンオオカミ終焉の地」として、1987(昭和62)年にニホンオオカミの等身大のブロンズ像を建立されました。ちなみに、ここで捕獲された最後のニホンオオカミは、現在もロンドン自然史博物館に、頭骨と毛皮が保存されています。これを奈良県に戻してもらおうという活動も行われているようですが、なかなか難しいようです。

奈良県東吉野村にある「ニホンオオカミの像」

絶滅してしまったニホンオオカミ。
しかし、狼は非常に賢く、そして慎重な生き物です。今も日本の山奥で、ひっそりと人間の様子を伺いながら暮らしてるかもしれません。
私はそう信じたい。
実際目撃もいくつか報告されており、ニホンオオカミの特徴に酷似した動物の写真も撮影されています。

狼と人間の関係、それは、自然と人間との関係でもあります。
現在の野生動物と人間との関係は、決して良好であるとはいえません。

美しい毛皮や牙、角を持っているために、人間の欲望を満たすためだけに殺されていく動物たち。
害獣駆除の名で殺されていく動物たち。
害獣とはいったい何なのでしょう?もしかしたら、環境を汚染し、多くの動物を殺害し、地球の健康をむしばんでいる人間こそが、この星にとって一番の害獣なのではないかとさえ考えさせられることも多いです。
しかし、いくらきれい事を並べても、私を含め人間は、一度手に入れた文明的で便利な生活を手放すことはできないし、実際原始的な生活に後戻りする必要もないのだと思います。

人間の文明的な生活と、野生動物たちは、共存していくことができるはずです。

国土の半分以上が自然保護区である自然保護先進国ブータンでは、国立公園などの保護区同士を「緑の回廊(コリドー)」で結び、そこを法的な保護下とすることで、野生動物たちの移動ルートを確保する取り組みが行われています。その結果、WWFジャパンによると、2011年には14頭だったベンガルトラが、2014年には25頭確認されたということで、成果は確実に表れ始めているといいます。

この「緑の回廊(Green corridor)」プロジェクトは世界でも広がりを見せており、東南アジアのボルネオ、中米の7ヵ国にメキシコが加わった「中米生態コリドー」計画、そして日本でも、林野庁のホームページを見ると、「緑の回廊」により野生生物の移動経路を確保し、より広範かつ効果的な森林生態系の保全を図るとする計画が紹介されています。

しかし、時間はありません。

世界自然保護基金(WWF)の報告によると、世界の野生動物の数は、過去40年で58パーセント減少しており、もしこの傾向が続くと、世界の野生動物は2020年までに、1970年時に比べ、3分の2にまで減少する可能性があるといいます。そして、現在の生物の絶滅率は従来の一般的な基準よりも約100倍速いといわれており、地球史上で発生した過去5回の大量絶滅のときの比率よりも大きく、古生物学者たちはこの大量絶滅を「比較的短い地質年代中に大量の種が失われることによる生物学的な危機」と定義しているといいます。

野生動物の保護は、早急に手を打たなければならない切迫した課題なのです。

野生動物たちのため(=自分たちのため)にできること。
行政や研究者が取り組む活動の他に、私たちにいったい何ができるでしょう。

いつか、昔のように、人と動物たちがより良い関係で共存できるようになることを願い、また、そのために何ができるのかを考えていきたいと思い、「オオカミの守る星」というブログタイトルにしました。

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