アニマル・ライツ(Animal rights)について
アニマル・ライツ(Animal rights)という言葉を聞いたことがありますか?日本語では「動物の権利」と訳されています。
人は様々な権利を持っており、それを主張する力をもっています。それは、子どもの権利、女性の権利など多くの種類がありますが、特に基本的人権とは、人間が人間らしく生きることができる最も基本的な権利です。人間らしいとは何か――それは、人間が本来持つ生まれながらの特性を尊重される生き方のことです。
これと同様の権利が動物にもある――全ての動物が、本来持つ本性に従って生きる権利がある――これが「アニマル・ライツ(Animal rights)=動物の権利」の考え方です。
動物は、かつてはただの道具のように使われていた悲しい歴史があります。
17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルト (René Descartes 1596–1650)は、1673年に出版した哲学書「方法序説」に、「良識はこの世で最も公平に分配されている」 という名言を記してますが、「動物は精神をもたず、考えることも苦痛も感じない。よって動物にどんなひどい扱いをしたところでそれは間違いではない」とも記載されています。
また、ドイツの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant 1724-1804)は、「動物は人格ではなく物であるから、単なる手段として使ってもかまわない」と言っています。(その後に「動物への残虐性は人間への冷酷な行為につながるため慎まなければならない」と言葉が続いていますが、権利の主体はあくまで「ヒト」です。)
現代に生きるほとんどの人は、これらの言葉を聞いて不快な思いをするでしょう。
しかし、みなさん、心のどこかで「ヒトと、その他の動物は違う」という感覚をもっていないでしょうか?
例えば人間の子どもが一日部屋に閉じ込められ、外に出ることも許されないという現状を耳にしたとき(これは明らかに虐待行為ですが)、大抵の人が「かわいそう」という感情を抱くと思います。しかし、鶏や牛、豚が、やっと身動きできる程度の狭いスペースでひたすら餌を食べさせられている、そういう映像をテレビで見たとき、当たり前の農場の風景に感じてしまっている部分はありませんか?
このようなヒト以外への生物に対する差別を「種差別」といいます。
ヒトさえよければいいのでしょうか?
この世の中に生を受け、生き、そして死んでいく――その生涯を、本来その生き物が持つ特性に従い自由にのびのびと生きることができる――これは、ヒトだけでなく、全ての生き物が持つ当然の権利であるはずです。
しかし、「動物の権利」(Animal rights)を考えるとき、家畜動物や実験動物の問題を避けて通ることはできません。
ヒトは、安定した生活をするため、家畜動物を改良、飼育してきました。かつては各家庭で鶏などの家畜を飼育しており、その肉を食べるときはそれぞれの手で屠殺していました。今食べている肉には命があり、かけがえのないものを「いただいている」という気持ちで食べたことでしょう。そして、動物を殺すことができないのであれば、肉を食べなければ良いのです。
しかし、分業化が進んだ現代では、私たちは自ら動物を飼育・屠殺することなく、肉を食べることができます。そして、残酷なことはなるべく伏せるという配慮もあり、私たちは、その動物がどのように育てられ、殺され、食肉となって私たちの食卓に届けられているのかを知りません。だから、平気で肉を残し、捨ててしまう。
それは、食用にされる動物だけではありません。服飾に利用される毛皮、日用品に利用される皮、医薬品開発のための実験動物――私たちは、それを使う以上、その製品がどのような過程をたどり供給されるのか、知る必要があるのではないでしょうか。
私たちの生活は、多くの動物たちの犠牲の上に成り立っています。そして、様々な技術が発達した今、その犠牲を減らしていくことを考えなければならないのだと思います。
「5つの自由(Five Freedoms)」について
家畜動物に対する動物福祉の取組は、1960年代のイギリスから始まりました。
1964年、イギリスのルース・ハリソン(Ruth Harrison 1920-2000)が出版した「アニマル・マシーン–近代畜産にみる悲劇の主役たち」(Animal Machies-The new factory farming industry, Vincent Stuart Publishers)は、集約的で工業的な畜産の残虐性を批判するもので、これで動物福祉に対する人々の関心は一気に高まりました。
1965年、イギリス農業省は「集約的畜産システムの下にある農用動物の福祉に関する調査のための専門家委員会」(ブランベル委員会)という諮問委員会を設置、同1965年、ブランベル委員会はイギリス議会に「集約畜産システムにおける家畜の福祉に関する調査委員会報告書」(ブランベルレポート)を答申、その中で、全ての家畜は「立ち上がり、横になり、向きを変え、毛繕いをし、肢を伸ばす自由」(「ブランベルの5つの自由」)を持つべきだと唱えました。
これを受け、イギリス農業省は「農用動物福祉諮問委員会(FAWAC)」を設置 、これが1979年に「農用動物福祉審議会(FAWC)」へと移行され、その過程で「ブランベルの5つの自由」は「5つの自由」という動物福祉の理想的な状態を定義する枠組みへと発展し、現在では家畜だけでなく、ペット動物、実験動物等、人間の飼育下にあるあらゆる動物の福祉の国際的な指標となっており、世界獣医学協会や世界動物保健機関(OIE)の基本原則ともなっています。
5つの自由(Five Freedoms)
飢えや渇きからの自由(Freedom from Hunger and Thirst)
健康を維持するため、栄養的に充分な食べ物、綺麗で新鮮な水が与えられている。
不快からの自由(Freedom from Discomfort)
静かで清潔であり、尚且つ気持ちよく休むことができる、身を隠すことができるなど、適切な飼育環境が提供されている。
痛み・負傷・病気からの自由(Freedom from Pain, Injury or Disease)
しっかりと健康管理がなされ、痛みや外傷、疾病の兆候があれば充分な獣医医療が施されるなど、救急診察および救急処置の充分な管理が日頃からなされている。
本来の行動がとれる自由(Freedom from behave normally)
それぞれの動物本来の生態や習性に従った自然な行動を行うことができ、群れで生活する動物は同種の仲間と生活、単独で生活する動物は単独で生活することができる。
恐怖・抑圧・悲しみからの自由(Freedom from Fear and Distress)
精神的苦痛、過度なストレスとなる恐怖や不安が与えられることなく、その兆候があれば原因を特定して軽減に努められている。
日本における動物福祉(Animal welfare)の問題点
日本でも、環境省は動物の適正飼養について「5つの自由」と「終生飼養」を飼い主の動物に対する責務であるとして啓発を行っており、ペット等の愛玩動物に対する動物福祉の考え方は広まってきています。
しかし、家畜動物に対する動物福祉に関する取組はあまり進んでおらず、国民の関心も薄いというのが現状でしょう。
「妊娠ストール(gestation crate)」という言葉をご存知ですか?
これは、母豚を妊娠期間中(約114日間)に単頭飼育する幅60cm、奥行き180cmほど檻のことで、母豚はこの中でほとんど身動きがとれません。これは、それぞれの食事量の管理が行いやすい、排泄物の処理がしやすい等の理由で、1980年代から使用されるようになったようです。
母豚は、妊娠期間中(約114日間)妊娠ストールに拘束され、出産の直前に分娩ストールに移動させられます。そこで拘束されたまま出産、授乳し、また受精させられて妊娠ストールに戻されます。
これを私たちヒトに置き換え、全く身動きのとれない檻に挟まれ一生を生きることを強いられたとしたら、恐らく精神が崩壊し、体調も悪くなるでしょう。
それは、他の動物も同じです。
豚は知能が高く、清潔好きな動物です。また好奇心旺盛で、野生の猪のように土を掘り、虫や球根などを食べます。
EUの科学獣医審議会が、妊娠ストール全ての研究で常同行動が確認されたと報告しています。実際、妊娠ストールにいる母豚は、柵をかみ続ける、口の中に何もないのに咀嚼し続ける、さらに多飲等の異常行動をとるようになり、様々な健康状態の悪化が認められています。
EUでは「豚保護のための最低基準(COUNCIL DIRECTIVE 2008/120/EC of 18 December 2008 – laying down minimum standards for the protection of pigs)」において2013年1月1日から妊娠ストールを全面禁止しており、アメリカでも、フロリダ州、メーン州、ロードアイランド州、オレゴン州、アリゾナ州、カリフォルニア州が禁止しています。また、オーストラリア、ニュージーランド、カナダも廃止の決定をするなど、その動きは広がっています。
しかし日本では 2014年の調査で88.6%の農場で妊娠ストールが使用されており、さらに2018年現在、法的な規制は行われていません。
また、養鶏場において生まれたばかりの雄の雛を殺すこと、狭いバタリーケージでの非人道的な飼育も深刻な問題です。
日本人の卵の消費量は世界で三番目に多く、また生卵が食べられるなど品質も良いことから、「日本の卵は素晴らしい」などとテレビで報道されているのをよく目にします。
しかし、その卵が養鶏場においてどのように生産されているのか、知っている方は少ないでしょう。
養鶏場で卵から雛がかえると、すぐに雄、雌の選別が行われ、雄は二酸化炭素による窒息、箱に詰め込むことによる圧死、生きたまま機械で粉砕されるなどして殺されてしまいます。これは、雄が卵を産まないためです。
また、雌でも体が弱い個体などは、雄とおなじように殺されてしまいます。
そして、箱の中である程度まで育つと、バタリーケージというワイヤーでできた金網の中に移されます。狭いケージに何羽も入れると、その中で序列ができつつき合いなどの行動をしますが、そのときケガをしないようになどという理由で、雛の頃に嘴を切られます。そして、そこで1年ほど卵を産むと、肉用としてと殺されます。
日本の場合、バタリーケージにおける一羽あたりの平均的な面積はB5サイズ(182mm×257mm)ほどであり、卵がとりやすいよう床が斜めになっています。その中で鶏たちは生涯を過ごすのです。
鶏は、本来巣の中で卵を産みます。また、嘴で土をつつく、爪で土を掘る、砂浴びをする、羽を大きく広げて羽ばたくなどの強い行動要求をもっており、また、止まり木で寝る習性をもっています。しかし、バタリーケージの中ではその欲求はかなわないため、鶏は強いストレスにさらされ、精神状態、健康状態の悪化は顕著に見られます。
これらのことから、スイスでは1991年から、スウェーデンでは1999年からバタリーケージの使用を禁止しており、その後フィンランド、ドイツ、オーストリア、オランダ、ベルギーでも禁止されました。また、現在アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドで、バタリーケージ禁止に向けた取組が進められています。
また、卵からかえったばかりの雄の雛を殺すことをやめようとする動きも、世界各国でみられます。
しかし、日本ではこういったバタリーケージ使用禁止の動きはまだなく、2014年調査では、92%の養鶏場でバタリーケージが使用されています。
確かに、日本とヨーロッパでは畜産の歴史は違うし、国土の面積も異なるため、全てを欧米諸国と同じようにすることは難しいかもしれません。
しかし、この現状のままで良いわけがありません。
全ての命に敬意を払う必要があります。
実際、日本も何もしていないわけではありません。
2016年9月30日に開催された「平成28年度第1回全国畜産課長会議」で、農林水産省は都道府県に対し、生産者自らがアニマルウェルフェアに関する取組の改善を進めるよう要望しています。
また、厚生労働省も、と殺場での動物たちの取扱(水を与える、長時間放置しないなど)の改善を促す通知を出しています。
もちろん行政だけで動物福祉の取組が行われるわけではありません。消費者である私たちの意識が変わることが何より大切です。そのためには、まずこれらの畜産動物たちの現状を知る必要があります。知らなければ、考えることはできません。
日本ならではの動物福祉の取組が進むよう、今後も私たちに何ができるのかを考え、できることから実行していきたいと思います。